法廷は真実を解明する場所ではない
是枝監督の最新作「三度目の殺人」は法廷劇。それも法廷内ではなく、法廷外での重盛と三隅の会話が1番の見所となる異色の作品です。
「あの人の言った通り、ここでは誰も本当のことを話さない。」
裁判後の咲江のセリフです。
余白たっぷりの本作はたくさんのメッセージが観客に投げられました。その都度考えさせられ、印象的なセリフも多かったです。
エンターテイメント性は一切ないのにずっとスクリーンに釘付けになりました。
- 「3度目の殺人」の意味は?
- 結局何が真実なのか?
- なぜ三隅は最終局面で容疑を否認したのか?
自分なりに想いを巡らせてみました。
三度目の殺人の意味とは?
『三度目の殺人』初日舞台挨拶を実施しましたヴェネチア国際映画祭から帰国直後の福山雅治さん、役所広司さん、広瀬すずさんと、更に満島真之介さんも駆けつけ豪華キャストが大集結‼今だから話せる撮影裏話も飛び出し会場は大盛り上がり『三度目の殺人』は全国の劇場で絶賛公開中です✨ pic.twitter.com/x6fBbuSi3j
— 映画『三度目の殺人』 (@SandomeMovie) 2017年9月9日
劇中では殺人事件は2回しか起きていません。30年前と今ですね。
では「三度目の殺人」とは何のことだったのでしょうか?
もう1回殺人事件が起きるのだろうと予想して映画を観ていましたが、何も起こらないままエンドロールが流れたときには驚きました。
上演後に色々と考えてみましたが、
「裁判長から三隅への死刑判決」
これが「三度目の殺人」だと是枝監督は言いたかったのだと思います。
元裁判長である重盛の父になぜ手紙を送ったのか?重盛の問いに、三隅はこう答えています。
「憧れていたんですよ、人の命を自由にできるじゃないですか」
裁判長は「真実を明らかにする正義の人」といったイメージがありますが、別の角度から見ると「日本で唯一、殺人権を持つ人」と解釈することもできます。
これは映画で見る前までの私にはなかった発想でした。「死刑宣告=殺人」と捉えるのはなかなか過激なタイトルですね。
三度目の殺人で三隅は殺したのか?
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— 映画『三度目の殺人』 (@SandomeMovie) 2017年9月8日
結論からいうと「分かりません」
公式パンフレットには次のような記載があります。
これまでの作品は登場人物にジャッジを下さないという視点で撮ってきました。要するに神の目線を持たずに撮ってきたんです。
でもサスペンスや法廷劇は本来、神の目線がないと目立たないジャンルですよね。それなのに僕はやはり神の目線を持ちたくなかったので、そのせめぎ合いで苦悩しました(笑)
殺したのかどうかは僕も途中まで決めていませんでした。
つまり是枝監督にとって、殺したかどうか、真実は重要ではないんです。
私はどうしても答えを欲しがってしまう性格ですが、真実が明らかになる必要がないこと、そもそも真実なんてわからないということを『三度目の殺人』は教えてくれました。
さらに面白いのは役者さんすら本当に殺したのか分からないまま演技をしていたこと。
撮影の合間に、真実を知りたい衝動を抑えられなくなった福山さんが是枝監督に「三隅は本当に殺しているんですか?」と聞いたところ、「どう思いますか?」と返されたそうです。
台本の解釈を観客だけでなく、役者自身にも委ねる。「三度目の殺人」が傑作に仕上がったのは、是枝監督のこの撮影スタンスがあったからだと思っています。
「頼むよ、今度こそ本当のことを教えてくれよ」
重盛のこのセリフには鬼気迫るものがありましたが、福山さんにとっての本音でもあったんですね。
三度目の殺人 キャストの熱演
「三度目の殺人」は役所広司の名演技で特別な作品へと仕上がっています。様々な解釈ができる役所さんの演技力により、何が真実なのかと何度も考えさせられました。
その役所さんすら、本当に殺したのか知らなかったんですから驚きです。
何が本当かわからないように演じることが自分の役割なんだと思いました。
ちなみに、冒頭で殺人のシーンが描かれたからといって、あれが真実とは限りません。映画では嘘も可視化できますからね。
咲江と三隅が雪合戦するシーンになぜか重盛が登場していたことからも、映像=真実ではないことがわかります。
ところで、役所さんだけでなく「三度目の殺人」のキャストはいずれも名演技でしたね。主演である福山さんからは喋らないシーンでの葛藤が痛いほど伝わってきました。
また、素晴らしいと感じたのが広瀬すずさん。「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を観た後、すずさんには正直失望していたのですが、本作は名演技でした。
「普通ってなんですか?」
「誰を裁くのかは、誰が決めるんですか?」
自分の中に一本の線があり、重盛を手玉に取っているような印象すらありました。
今回はハマり役だったと思います。誰も真実を話さなかった大人の法廷において、ただ一人損得勘定抜きに真実を語ろうとした咲江。
中学生という年齢、大人対子供という構図、この作品に欠かせないキャラクターでした。
また、最後裁判が大人の事情で早期終了に向かった際、若手弁護士の川島だけ反対していたのも印象的でした。
三度目の殺人 ポスターの血の意味は?
出典:三度目の殺人
三度目の殺人のポスターを見ると、重盛・咲江・三隅の3人の頬に血痕が残っています。3人がそれぞれ頬をぬぐうシーンが印象的でしたね。
三隅はともかく、なぜ重盛と咲江の頬に血がついていたのでしょうか?
重盛は割と理解しやすく、三度目の殺人である「死刑判決」に重盛も加担したからだと思っています。
証拠が「被告人による自供」しかなかったため、咲江のレイプ事件を明るみに出せば三隅を死刑から減刑することはできたはず。
ですが、重盛は咲江がレイプのことを公共の場で聞かれるのを避けるため、それをしなかった。つまり重盛は三隅を死刑に近づけるように弁護したといえます。
「死刑宣告=殺人」とみなしている本作では重盛もまた加害者の1人なのでしょうか。
次に、咲江の頬に血がついている理由。
それは咲江が父の死を望んだからではないでしょうか。
「心のどこかで父を殺して欲しいと思っていた」
だから咲江も殺人に関わっている……?
いやいやいや、重盛も咲江もそれくらいで殺人鬼になるなんておかしいですよね。
「人を殺せる人間と殺せない人間には大きな差がある」
これは元裁判長である重盛の父のセリフです。どれだけ殺したいほどの憎しみを持っていたとしても、それを実行するのとしないのでは天地の差があります。
是枝監督がどういう意図で頬に血をつけたのかが気になります。
三度目の殺人で三隅が殺人を否認した理由
なぜ三隅は土壇場になって主張を変えたのでしょうか。
重盛が推測した通り、
「殺害を否認すれば咲江がツライ話をしなくて済む」
そう考えて殺人を否認すればキレイです。
これは私個人の感想ですが、実際の所、三隅は殺人を犯したと思っています。裁判の判決の通り、主張をコロコロ変える合理性がまったくありませんからね。
では、なぜ否認したか。
三隅は自分が殺人を犯したのではなく「殺されるべき人が殺されただけ」と考えたからではないでしょうか。
「人間の意志とは関係なく、人生は選別されているんじゃないか?理不尽に命は奪われている。」
本作では「空っぽの器」という言葉が使われていました。
三隅の意志で殺害したのではない。殺されるべきだったのだ。だから三隅は殺していない。
かなり身勝手な思い込みですね。
ただ、最初からそれを話さなかった理由が、咲江を守りたかったからなのか、警察や弁護士に問い詰められたからなのか、それはわかりません。
真実はわかりません。
三度目の殺人で描かれた裁判のあるべき姿
出典:三度目の殺人
三度目の殺人では裁判の裏側の姿が描かれました。
「犯人性は争わない」と事前に打ち合わせるシーンや、裁判をやり直さずにこのまま続行するときの目配せするシーンが印象に残っています。
映画のパンフレットに弁護士の方のコラムが掲載されていました。
初めて映画で弁護士の本当の姿を描いてもらえた
裁判を担当する法曹三者は、いかに真実が得難いものを経験上知ってはいますが、それでもなんとか真実に迫らんと、日々、法廷の中でお互いの立場で攻撃防御を尽くしているのです。
真実はわからない。
被告人ですら真実がわからないこともある。
法廷というのは、真実を追究する場ではなく、お互いの主張を争う場である。
真実を明らかにすることは絶対にできないけど、万人が1番納得する結論を下す。
私の中の裁判のイメージが大きく変わりました。
なお、「なぜ凶悪犯罪者を弁護する必要があるのか?」という私の疑問にもこの弁護士の方は答えてくれています。
「徹底的に攻撃する検事」vs「徹底的に防御する弁護人」の攻撃防御を中立な裁判官が判断するという裁決方式は、現代において真実に近づく最善の方法として選ばれているともいえるでしょう。
凶悪犯罪での弁護人の存在意義は「裁判長が正しく裁くため」
これは納得できます。
三度目の殺人で印象的だったセリフ
最後に、余白たっぷりだった三度目の殺人で印象に残ったセリフをまとめてみました。この言葉をどう解釈するかは見ている人次第です。
改めて考えてみてください。
——
理解、共感は弁護にいらない(重盛)
こんな手紙ひとつで許せっていうの?葬式だって…みんなと最後のお別れもできなくて…(美津江)
「金目的」は身勝手。「怨恨(えんこん)」は殺意を抱く事情があった。それで罪の重さが変わる。法律って不思議ですね(弁護士事務所の秘書)
あなたみたいな弁護士が、犯罪者が罪と向き合うのを妨げるんですよね(検事)
手を見せてください。もう少ししたら手の熱が伝わってきますから。こうした方がその人の考えがわかる(三隅)
そう簡単に人間が変わると思う方が傲慢なんだよ(重盛の父)
子供はいつまで親の罪を背負わないといけないんですかね(留萌のバーにいた男)
いろんなことを見て見ぬフリをしないと生きていけないんですよ(三隅)
あんなヤツ殺されて当然。生まれてこない方が良かった(三隅)
人間の意志とは関係なく、人生は選別されているんじゃないか?理不尽に命は奪われる(重盛)
あんな汚い仕事でお金稼ぐなら潰れた方がいい…(咲江)
裁くのは私じゃない。私はいつも裁かれる方だから(三隅)
今までの方が、誰にも話せなかった方がつらかったから…。私は母みたいに見ないフリをしたくないから。(咲江)
あなたは私の依頼人だから、あなたの意志を尊重する(重盛)
私はずっと生まれてこなければ良かったと思ってました。私は傷つけるんです。いるだけで。周りの人を。(三隅)
是枝監督の作品を振り返ろう
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福山さんが本作に出演したのは「そして父になる」があったから。広瀬すずさんも「海街diary」での好演が是枝監督に評価されての起用でした。
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是枝監督の作品や思想感をこの作品を通して、又 他の作品を拝見して感じた事がありました。
普通とは何か? 当たり前とは何か? 制度とは? 社会とは? ⁇
固定観念や概念の枠組みをとっぱらった作品が多いと感じている。
何か哲学的でもあり、社会の不条理さを感じているようにも感じている。
日本人には多い特徴なのかもしれないと感じている。枠組みに当てはめる事が。
私の文書もある意味、自身の作品や監督への固定観念に過ぎない。結論は無い。
ただ、ただ こう在りたいと思い、感じている傲慢な自分もいる。客観的に、私観的に考える。 決まりは無いのもあるがままなのかと思っている。
三度目、というのは単にこの映画で取り上げた殺人が、三つという事。
一度目が三隅の借金取り殺し、二度目が咲江の父親殺し、三度目が重盛ら司法の、三隅への冤罪での死刑判決(殺人)。重盛が二度目の殺人に加担していれば、三度目の殺人が成り立たない。無実の人でなければ死刑は殺人と呼べない。罪に対する罰になる。
これがポスターの三人に血しぶきがかかる理由である。
沢山の暗示を盛り込み、こねくり回した感じがあざとい。